私の黒歴史③子育て

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結婚によって自分の生きる道を取り戻した私。
今でこそ、マザーズティーをしていますが、独身時代は子供が好きではなく、
私には子育てなんてできないだろうと思っていました笑

ですが、
仕事をし独り暮らしもお見合いもし、独身時代をそれなりに謳歌、
どうにか結婚、次は子供、子育てだわ~!
となぜかスイッチがはいり、望んだら結婚2年後に長女を出産しました笑

出産したとたんに、お母さん!ママ!などと呼ばれ、戸惑いはありましたが
子供の成長&人間の成長過程をみられることは、とても興味深く楽しいものでした。

忘れもしない出来事~長女が1歳半くらいでしょうか
ショッピングセンターにベビーカーを引いてお出かけ
婦人服とキッズ服が半々を占めているお店に立ち寄りました。
私は婦人服を吟味、娘はベビーカーを降りて子供服売り場の帽子を手に取り
鏡の前でおめかしポーズを決めていました。

あらっあの帽子、気に入ったのかしら。
ちょっと、持っている洋服に合わないな~?
そんな事を思いながら

「さあ、行きますよ~。置いてあったところに戻してね~!」

と言うと、さっと帽子を戻しベビーカーに大人しく座りました。
まあ、ずいぶんと聞きわけがいいのね。
と安堵すると共に、娘の理解力の高さに驚きました。
まだおむつをしていて、たいして喋れないのに、私の言うことはほぼ理解している。

もしあの時、私が何も言わず強引に帽子を取り上げ元に戻したら、
娘は泣き叫んだに違いありません。
大人が思うよりずっと、子どもは観察力が鋭く理解力も高いのではないかと、
実感させられた出来事でした。

それから、私の言動も変わりました。
時と場合によりますが、まず子供にわかるように話してみる。
それで理解できなければ一緒にやってみる。
必要以上に怒鳴ったり叱ったりすることが減ると、
母としても心に余裕ができ、ゆったりと子供と向き合うことができます。

主人はといえば、結婚当初は神奈川と千葉を行ったり来たりの週末婚。
長女を出産する前後は北海道、九州勤務となり2週間ごとに帰ってくる生活。
長男の出産前後は中東勤務。
息子退院時に主人の姿は日本にありませんでした。
長女に続き、長男の乳児期も母子家庭のような状態での子育てでした。
週末婚とかいいんだよね~
そんな生活を望んでいた私は、理想を手に入れていたのでした笑

余談ですが、
すぐ下の妹は都会の生活に疲れ、結婚したら信州や北海道に行きたい!
→信州に嫁ぎました。
日本はなんか窮屈でさ~、海外に住みたい!と言っていた末の妹
→イギリスに嫁ぎました。
望んだことは現実化する?!
私たち三姉妹はそれぞれ望んだ生活を、しっかり手にいれているのでした笑

特に大きな病気やケガをすることなく、すくすく育つ子供たち。
息子が幼稚園に入園したころに、両親から
「パートでいいから、会社を手伝いに来ないか?」
と打診がありました。

父の心ない一言で火がつき、泣き崩れたこともありましたが、
皮肉なことに、その言葉で私は自分の人生を取り戻すことができました。
伴侶をみつけ子供を持ち、自分の家庭がある~大きな不満はありませんでした。
と同時に
結婚出産を経て、私の両親に対する捉え方が変わりました。
両親は若くして地方から上京、身寄りのない状態で会社を興し、
3人の子育てをしながらの経営。
両親の苦労が理解できるようになっていました。

高速を飛ばして1時間の距離ではありましたが、子供の行事を優先でき、
毎日ではなく週に2~3日のパートならできると思い軽い気持ちで引き受けました。
が、そこにはまた違う試練が待ち受けていたのでした。

つづく

 

 

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